「愛の言葉」に続く3枚目のシングル曲として書いたのがこの曲。
ちょうどその頃「情熱大陸」が僕に密着取材をしてくれていて、まさにカメラの前で歌詞の最初の1行が出てきた。
それから曲作り、デモテープ録り、レコーディングまでをカメラは追い続けたのだが、土壇場でこの曲の制作は中止となった。あの時はへこんだなあ。
その模様を「情熱大陸」はそのまんま放送した。筋書きのないドラマ。やらせなしのまさにドキュメンタリー。
そこで新たに書いた曲が「最後に咲く花」で、こちらが3枚目のシングルとしてリリースされた。
結局、この曲は2000年にマキシシングル「明日の色」のカップリングとして日の目を見ることになり、一時はライブの定番曲にまでなる。
当初、この歌詞は37才という若さで急逝したコロムビアレコードのスタッフに向けて書いたものだったが、製作途中に「卒業式の歌にしよう」と思い直して大幅に書き直した。
あの小田和正先輩が「サトル、あの『サヨナラ』って曲、いい曲だな」と唯一褒めてくれた曲でもある。