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1967〜2009
本名「坂本覚」。1967年(昭和42年)4月3日、青森県南部町生まれ。血液型O型。
身長178.8cm、体重70〜75kgの間を不定期に増減。好きな食べ物はすいか。
OFFICE mode key所属。

→1974年、青森県南部町立向小学校入学。

→1980年、青森県南部町立南部中学校入学。

→1983年、青森県立八戸高等学校入学。八戸市内での下宿生活始まる。

→1986年、東北大学経済学部進学のため仙台へ。

→1991年、デビューが決まったため急遽上京。

→1992年、バイト仲間、実弟らと結成したバンドJIGGER'S SON(ジガーズサン)のボーカル&ギターとしてコロムビアレコードよりデビュー。7枚のオリジナルアルバムと13枚のシングル、その他2枚のアルバムを発表した後、1998年10月、活動休止。

→1999年2月、「坂本サトル」としてソロ活動を開始すると同時に人が集まるところならどこでも行ってCDを売るという「CD実演販売ライブ」をスタート。その独特の活動が「FOCUS」「トゥナイト2」「ミュージックステーション」「うたばん」等で取り上げられる。その活動形態は新たな流通の形として「日本経済新聞」他、経済誌各誌で報じられる等し、以後の音楽業界に影響を与えることになる。

→2000年6月、キリンカップ「日本代表VSスロバキア代表戦」にて君が代斉唱。50000人とともに歌う。声による地鳴りを初体験。

→2001年より、大学の先輩である小田和正氏のレコーディングにも数多く参加。シングル「風の街」「キラキラ」、アルバム「Looking Back 2」でコーラスを担当。

→2002年、10年間在籍したコロムビアレコードを離れ、元コロムビアレコード社員であった小林英樹と株式会社ラップランドを設立し独立。

→2003年より弾き語りツアーとバンドツアーを交互に行い、ツアーごとにライブアルバムをリリースするという活動に入る。

→2005年北海道文化放送制作「新選組。永倉新八からの伝言」にて音楽、出演、ナレーションを担当。2005年日本民放放送連盟賞テレビエンターテインメント部門において優秀賞受賞。

→2005年4月、東北楽天ゴールデンイーグルス公認応援ソング「Dream of EAGLES〜夢をかなえて」をサトル&アッキー(本間秋彦)名義でリリース。2006年9月には本拠地である宮城フルキャストスタジアムで試合開始前にライブを行う。

→2006年12月、フジテレビ系全国28局ネット+青森テレビにて放送される「Hands Story 坂本サトルとうたう手のチカラ」にて音楽、出演、ナレーションを担当。

→2007年3月、ソロ転向後にリリースされたシングル曲を集めた「Singles 1999~2006」発売。

→2007年4月、生誕40周年記念ライブ「Happy Birthday 俺。」をSHIBUYA O-Eastにて開催。10組のゲストを迎え4時間のステージ。

→2007年10月、少年院で暮らす子ども達のために書き下ろした「花のとなりで」がCBC制作のドラマ「ガラスの牙」の主題歌に。

→2007年12月、株式会社ラップランドを離れ、個人事務所「OFFICE mode key」設立。以降の活動の拠点とする。

→2007年12月、浅田信一、森山公一とともにお遊びで気紛れに活動していた浅森坂が本格的に活動開始。アルバム「浅森坂」でアミューズよりまさかのデビュー。翌年2月に全国12カ所を回る全国ツアーがスタートする。

→2008年3月、地元青森県南部町立南部小学校の創立10周年記念ソング「世界は僕らを待っている」制作。

→2008年11月、2006年から担当していた青森放送のラジオ番組「ラジソン」の中で放送中に制作した「君と歌ううた」を青森県限定リリース。

→2009年2月、アルバム「プライド」に収録されていた「アイニーヂュー」が日本テレビ系で放送中の「誰も知らない泣ける歌」で取り上げられる。

→2009年2月までに、坂本サトル名義でオリジナルアルバム4枚、シングル10枚、ライブアルバム6枚をリリース。
現在は、弾き語りスタイルやバンドスタイル等、様々な形態での全国ツアーを定期的に行い、その模様をツアーごとにライブアルバムとしてリリースするなど独自の活動を続けるかたわら、元EXILEの清木場俊介、加藤いづみ、等に楽曲提供するなど作詞家、作曲家としても活動中。
多くのラジオ番組のDJを務める他、イベントのプロデュース、CMやテレビ番組の音楽制作、ナレーションを担当するなどその活動は多岐にわたる。

→ 約2分では分からない坂本サトル1へ
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