sakamoto satoru web
1967〜1991
1967 04 ■青森県南部町に生まれる。
1969   ■2才。当時のヒット曲、ピンキー&キラーズ「恋の季節」をフルコーラスで歌い周囲を驚かせる。
1971   ■4才。この頃からフィンガー5にハマり、近所の大人が集まる集会や飲み会で歌い、そして踊りまくる。
1974   ■南部町立向小学校入学。1年の時、RAB(青森放送)ラジオ主催「ちびっこのど自慢」に出場。フィンガー5「恋の大予言」を歌い、「よく歌えたで賞」受賞。また、学芸会の学年全体の出し物で1学年全生徒100人中99人をバックに「大きな古時計」を歌う。
1978   ■11才。世良公則&ツイスト(後にツイストと改名)に出会い、音楽人生1度目のショックを体験。「バンド」という形態を意識するようになる。
1980   ■南部町立南部中学校入学。1年の冬、隣町の本屋で初のギター「ヤマハ FG-250D」を父親から買ってもらう。初ライブは3年の文化祭。同級生と組んだアコースティックギター3人とピアノ、というバンドでツイストの「Love Song」を歌う。
卒業間近、いとこからもらったエレキギターを抱え、キッス、ジャーニー、クイーン、ディープパープル等をコピー。
1983   ■青森県立八戸高等学校入学。実家を離れ、八戸での下宿生活始まる。入学祝いに「ヤマハ SG-1500」を父親に買ってもらい、一気にエレキギターに傾倒。高中正義のコピーがスタートとなる。
1年の時、同級生とともにバンドを結成しようとするが、メンバー4人の趣味志向があまりにもかけ離れていたため「折衷案」としてメンバーの1人がデュランデュランのコピーを提案。思いの外ハマってしまい、結局高校3年間は「基本的にはデュランデュラン、高中とツイストも若干あり」「基本的にはギタリスト、ツイストの曲の時だけはボーカル」という奇妙な活動をする。
1986   ■東北大学経済学部入学。仙台での1人暮らし始まる。
2年の春、NHK-FMにて「こどもばんど」のライブを耳にし、音楽人生2度目のショック。なぜ今まで知らなかったのかと悔やむ。すかさずこどもばんどのコピーバンド「BABABND」結成。このバンドからは完全にボーカリストとなる。
1988   ■留年により仕送りストップ。生活費と学費を稼ぐために、よくBABANDで使っていた練習スタジオで働くこととなる。当時スタジオ課の課長であった渡辺洋一がギタリストを務める「THE MAHLER」のライブを見に行き、「こんなやつらがアマチュアでやってるわけ?」と音楽人生3度目のショック。「これに比べたら俺がやってることはただのお遊びだ」とBABANDを辞める事を決意。
すぐにデモテープを作り「坂本さとる」として第12回フレッシュサウンズコンテストに応募。ライブ審査時にバックバンドが必要となり渡辺、THE MAHLERのドラマー大光ワタル、サトルの実弟である昌人と共にコンテストへ参加。南東北大会にて準グランプリ受賞。
この後、しばらくは便宜上「坂本さとるバンド」と呼ばれながらいくつかのコンテストに出場していたが、パーマネントなバンドとして活動していく事を決意。バンド名をJIGGER'S SON(ジガーズサン)とする。
ちなみにこの一風変わったバンド名は坂本さとるの当時の座右の銘「自画自賛」をもじったもの。
  10 ■自主制作CD single「BYE-BYE-BYE」発売(8cm single 2曲入り)。当時、自主制作でCDというのはあまり例がなく、ケースは紙製、手作りであった。
1989 01 ■JIGGER'S SON 初ライブ前日に昭和天皇崩御。1ヶ月後に延期される。
この後、2ヶ月間ライブをやり、2ヶ月間は曲作りのため充電するというスタイルで活動する。
  07 ■第13回フレッシュサウンズコンテスト南東北大会にて準グランプリ
  11 ■FM仙台主催「アマチュアバンドファクトリー決勝大会」にてグランプリ受賞
■自主制作CD album「WHAT'S WRONG?」リリース
1990 05 ■モーニングムーンレーベルよりCD single「KIDS」リリース
  06 ■ドラマー大光ワタルが、JIGGER'S SONと平行して参加していたバンド「SΛKΛNΛ」のメジャーデビューが決まったため脱退。以後、サポートメンバーを迎えての活動となる
  07 ■ホリプロオーディション「一点突破」東北大会にてグランプリ。全国大会へ。
■コロムビアレコード創立80周年記念アーティストオーディション東北大会にてグランプリ。全国大会へ。
  08 ■第14回フレッシュサウンズコンテストみちのく大会にてグランプリ。全国大会へ。
  09 ■コロムビアレコード創立80周年記念アーティストオーディション全国大会でグランプリ。メジャーデビューが決定するが、自らデビューの延期を申し出る。自分達 がまだそこまでのレベルに達していないというのがその理由。当時、まだかろうじて続いていた「イカ天・ホコ天ブーム」と一緒くたにされるのも嫌だった。
■第14回フレッシュサウンズコンテスト全国大会にて審査員特別賞受賞
  10 ■オーディションでの賞金を使って自主制作カセットアルバム「僕の宝物」制作。当初は「完全予約限定発売」と言っておきながら、実際には注文者全員にプレゼントするという太っ腹アルバムであった。
1991 01 ■ドラマーに鈴木慎也、正式メンバーとして加入。
  04 ■「僕の宝物」3ヶ所だけツアー(〜5月)
  07 ■「うわさの夏」5ヶ所に増えましたツアー(〜7月)
  10 ■「迎えにきたよ」ツアー(〜11月)
■仙台のイベント情報誌「CLAPPER」誌上にてエッセイ連載開始。(〜93年12月まで)
  12 ■12月のある日、コロムビアレコードディレクターより「そろそろレコーディングに入るから東京来て」と通達あり。あわてて引っ越し先を探すも、結局住む家も決まらぬまま無理矢理上京。
1992〜1998
1992 01 ■デビューアルバムのレコーディング開始。
  04 ■FM仙台にて「坂本さとるワンダイムの夢」放送開始。後にFM青森、FM岩手、FM秋田、FM山形の計5局をネット。(〜96年3月まで)
  06 ■日本コロムビアよりsingle「お宝~大切な君だから」、album「自画自賛。~大切な君だから」でデビュー。
FM中九州(熊本)「アウトボンボな日々」放送開始。(〜92年8月まで)
  07 ■「千里の道も4ヶ所からツアー」(東京、大阪、名古屋、静岡)
  10 ■2nd single「顔を上げて」、2nd album「おなじ空の下で」リリース。
■「おなじ空の下 5つの町ツアー」
(東京、名古屋、大阪、静岡、仙台、横浜、市川)
1993 01 ■熊本県民テレビ「サウンドスクエア」放送開始。(〜93年3月まで)
■3rd single「大丈夫」リリース。
  03 ■「丈夫な体と丈夫な心で歌って笑えば大丈夫ツアー」(名古屋、大阪、仙台、東京)
  05 ■「アリーナ37゜C」誌上でエッセイ「壬生下宿物語」連載開始。(〜94年3月まで)
  06 ■4th single「街で会おうよ」リリース。
  07 ■3rd album「幸せになりたい。」リリース。
■Air-G'(FM北海道)で「FM ROCK KIDS」放送開始。(〜93年9月まで)
  08 ■「幸せになりたいツアー」(東京、名古屋、大阪、青森、仙台)
  10 ■「CDでーた」誌上で「嗚呼、我が人生自画自賛」連載開始。(〜94年10月まで)
1994 01 ■5th single「また明日」リリース。
  03 ■「また明日ツアー」(福岡、大阪、名古屋、札幌、仙台、東京)
  04 ■仙台放送「クリポップランディ」放送開始。(〜94年8月まで)
  06 ■6th single「何もしてあげない」リリース。
■長男生まれる 。
  07 ■4th album「JIGGER'S SON」リリース。
  10 ■FM愛知(名古屋)「合点太巻天狗」放送開始。(〜95年3月まで)
■「君は最高、僕も最高ツアー」
(金沢、富山、熊谷、山形、横浜、大阪、熊本、福岡、名古屋、 大阪、札幌、仙台、青森、東京)
■「アンプラグドライブツアーwith KONTA」(水沢、黒石、大館)にてKONTA(元バービーボーイズ)と共演。
■「仙台タウン情報」誌上にて「何もしてあげない。これ以上は」連載開始。
(〜95年9月まで)
1995 01 ■秋田放送ラジオ「三瓶さんへの手紙」放送開始。(〜96年1月まで)
  03 ■イベントツアー「TOKYO ACOUSTIC NIGHT」(名古屋、大阪、東京)に参加。このうち東京公演にて世良公則さんをゲストに招き「性」「燃えろいい女」をセッション!すごいぞ!
  06 ■7th single「さよならは僕が言う」リリース。
  07 ■既発曲のリミックス、別アレンジ曲、未発表曲等を収録したコンピレーションアルバム「Birthday 1992 - 1995」リリース
  08 ■「パワーアンテナ 大阪 夏の陣」にて斎藤和義、加藤いづみ、石川よしひろとセッション。
  09 ■長女生まれる
  10 ■FM愛知「あなたの味方」放送開始。(〜96年3月まで)
  11 ■8th single「告白」リリース。
■「あなたの味方ツアー」(東京、仙台、大阪、名古屋)
  12 ■5th album「あなたの味方」リリース。
■種ともこライブ「秋の種“寄せ鍋の巻”」にゲスト出演。
1996 03 ■「あなたも味方ツアー」
(熊谷,京都,神戸,横浜,名古屋,福岡,広島,札幌,青森,盛岡,東京)
  04 ■ライブイベント「LIVE GIRL POP」でのCHAKA(元PSY'S)のライブにゲスト出演。
  07 ■Triad(トライアド)レーベルに移籍。名前表記を「坂本さとる」から「坂本覚」へ。
  10 ■9th single「バイバイ」リリース。
  12 ■「スペシャル CLUB ツアー'96冬」(名古屋、大阪、東京、仙台)
1997 02 ■加藤いづみライブ「バレンタインスペシャル'97」にゲスト出演。
■10th single「流星」リリース
  03 ■チャカと昆虫採集ライブ with JIGGER'S SON「Gravitate Graffiti」にてChakaと共演。この日の為にオリジナル曲「Going Home」(詞/Chaka、曲/坂本覚)制作。
■6th album「素敵な日々」リリース。
  04 ■Air-G'(FM北海道)「坂本覚ブルーフォレストの水」放送開始。(〜97年9月まで)
■東北放送ラジオ「坂本覚の素敵な日々」放送開始。(〜99年12月)
■「素敵な日々ツアー」
(横浜,熊谷,京都,神戸,岡山,福岡,大分,熊本,広島,名古屋,金沢,新潟, 盛岡,秋田,青森,札幌,仙台,大阪,東京)
■小田和正第2回監督作品、映画「緑の街」にJIGGER'S SONが「大変売れているバンド役」で出演。
  05 ■11th single「素敵な日々」リリース。
  08 ■日清パワーステーションにて「日清ラ王presents 東京夏祭り'97」と題した3週連続のライブを行う。
内容は1週目「初期のJIGGER'S SON」、2週目ゲストにCHAKA、瀬木貴将、野辺剛正を招いての「ゲストDAY」、そして3週目はギタリストでありアルバム「素敵な日々」のプロデューサーでもある土方隆行氏を迎えての「現在のJIGGER'S SON」。各週ごとに内容の異なったCDシングルをプレゼント、さらに3週とも参加するとスペシャルビデオがもらえるという何ともゴージャスなライブであった。
  10 ■12th single「世界の終わり」リリース。
■楽曲提供:加藤いづみ「木枯らしを抱きしめて」(曲のみ)
  11 ■「世界の始まりツアー」(名古屋、広島、福岡、大阪、札幌、仙台、東京)
1998 01 ■刺激を求め、単身、南米ボリビアへ。
現地で合流した友人でありミュージシャンの瀬木貴将、現地のポーター、ミゲールと共にカヌーでアマゾン奥地の村を訪ねるという旅に出る。
この旅へ出るまでの葛藤と道中での出来事は、2002年8月に出版された書籍「weekend caravan plus」に「ボリビア道中記」というタイトルで収録されている。
  02 ■13th single「忘れないで」リリース。
  03 ■7th album「バランス」リリース。
  04 ■FM秋田、FM岩手にて「坂本覚の天国に一番近い部屋」放送開始。
(〜99年9月まで)
■TRIAD移籍以前の作品から選曲されたベストアルバム「Lemonade Days -THE BEST OF JIGGER’S SON 1992-1995」リリース
  05 ■JIGGER'S SON初のアーティスト本「J本」発売。
  06 ■「バランスツアー」
(横浜、京都、広島、熊本、福岡、大阪、名古屋、青森、仙台、札幌、東京)
  07 ■「バランスアンコールツアー」(秋田、盛岡、山形、福島)
  10 ■JIGGER'S SONの活動休止を宣言。ソロ活動開始。
名前表記を「坂本サトル」に。
1999〜2000
1999 02 ■「北の音楽」をコンセプトとしたインディーズレーベル「LAPLAND(ラップランド)」設立。
■ソロ活動開始。8cm single「天使達の歌」(インディーズ盤)リリース。カーネーション棚谷祐一氏を共同プロデューサーに迎え、カーネーションの全面バックアップを得て制作された。ちなみにこのsingleは1曲入り、¥500であった。
■同時に、路上、飲食店、レコード店などで、後に社会現象とまで呼ばれた「CD実演販売ライブ」開始。そのほとんどがマイクもない場所でのライブであった。ライブ&サイン&購入者との握手を延々と続ける。
■「天使達の歌」初回プレス3,000枚。
  03 ■CD実演販売ライブ、3月末までに100本を越え、CD売り上げは6,000枚を越える。
  04 ■売り上げ遂に1万枚突破。
■サッカーJ2リーグ「ベガルタ仙台 VS コンサドーレ札幌」(仙台スタジアム)の試合開始前に「天使達の歌」を歌う。
■4月18日仙台地方でのCD実演販売ライブの集大成「坂本サトルフリーライブFG-250」を仙台市勾当台にて開催。3,000人以上を動員する。この時点で、「天使達の歌」がメジャーから発売される事が決定。当日、会場で発表された。それにともないインディーズ盤のプレスが15,000枚で終了。
  05 ■同じく北海道地区での集大成「FG-250」を5月3日、サッポロファクトリーアトリウムにて開催。4,000人動員。2月からこの日までに行ったライブの本数は200本以上。この頃からこの局地的な盛り上がりがフジテレビ系「目覚ましテレビ」、写真週刊誌「FOCUS」、テレビ朝日系「トゥナイト2」など様々なメディアで取りあげられ、全国に広がっていく。
■メジャー盤 Maxi single「天使達の歌」、日本コロムビア・トライアドレーベルより全国一斉発売
  06 ■テレビ朝日系「ミュージックステーション」出演。藤圭子の娘が予定より喋りすぎたため、タモリとのトークは30秒ほどであった。
■自身が制作する personal web site「STUDIO MODE KEY web」スタート。
so-net の音楽専門コンテンツ「mc」にて、エッセイ「weekend caravan」スタート(〜2002年9月まで)。
  07 ■東北6県のAMにて「坂本覚のiモードな日々」放送開始。(全4回)
  08 ■TBS系「うたばん」出演。
■ソロとしての初のワンマンツアー「北海道・夏の旅」(札幌、旭川、札幌、北見、帯広、釧路)
■JIGGER'S SONへの再評価が高まる中、ノスタルジックな面を切り取ったベストアルバム「orange」発売。
  11 ■JIGGER'S SONのバンドサウンドが炸裂したベストアルバム「apple」発売。
  12 ■この1年間で行った総ライブ本数は471本を数えた。
2000 01 ■2nd Maxi single「愛の言葉」リリース
  02 ■初の単行本「終わらない歌。-『天使達の歌』と共に歩いた旅の記録。」(バウハウス)発売
  03 ■1stアルバム「終わらない歌」リリース
  04 ■資生堂男性用化粧品「WALKER」CMナレーションを担当。以後、このCMシリーズのナレーションを全て担当。「コンビニだけで新発売!」
■日比谷野外音楽堂にてフリーライブ。約3000人を動員し、CD実演販売ライブに1つの区切りをつける。ラストの曲をマイクなしで歌ったが、日比谷野音でマイクを使わずにライブをやった前例がなく「伝説」と自分で呼んでみる。
  05 ■1999年に行った471本のライブのうち、最も過酷な行程の1つであった「北海道南半分1周、9日間ライブ34本の旅」を追ったドキュメンタリービデオ「LAPLANDE&鈴井の巣 Presents『天使達の歌~34/471~』」リリース
  06 ■北海道虻田町にある有珠山噴火による避難所でライブ。
■「TOUR2000 終わらない歌 バンドバージョン」
(横浜、札幌、仙台、広島、福岡、大阪、名古屋、渋谷)。
【band member】
坂本サトル:vocal & guitar
矢部浩志:drums(from CARNATION)
鳥羽 修:guitar(from CARNATION)
坂本昌人:bass & chorus
棚谷祐一:keyboards & chorus(from CARNATION)
■「キリンカップ 日本代表 VS スロバキア代表」(宮城スタジアム)にて、試合開始前、国歌歌手として君が代斉唱。サッカーファンをして「坂本サトルの国歌斉唱は良かった」と言わしめる。
  07 ■「TOUR2000 終わらない歌 弾き語りバージョン」
(鹿児島、熊本、大分、長崎、金沢、高岡、新潟、徳山、岡山、帯広、北見、旭川、秋田、青森、山形、福島、京都、姫路、和歌山、静岡、岐阜、四日市)
■MBS系「情熱大陸」出演。「サヨナラ」が生まれる瞬間から、実家、青森でのデモテープ制作、レコーディング風景、そして土壇場での発売延期が決まるまでの模様を90日に渡り密着した、赤裸々なドキュメントであった。
  09 ■3rd Maxi single「最後に咲く花」リリース。カップリングで敬愛するシンガー、EPOの「矛盾の中で生きてる」をカバー。
  12 ■カウントダウンイベント「COUNTDOWN SAPPORO 2001」のテーマ曲「明日の色」がラップランドレーベルから北海道限定で発売。「明日の色」はこのイベントのために書き下ろされたもの。ジャケットは友人、軌保博光が担当。カップリングには大泉洋との北海道限定ユニット「Same Birthday」による「愛の言葉」を収録。
■31日から翌、2001年元日にかけて行われた「COUNTDOWN SAPPORO 2001」には北海道知事らもかけつけ、会場となった大通公園には約18000人が集まり「明日の色」を大合唱。この模様は2ndアルバム「走る人」にCDエクストラ映像として収録された。
2001〜2002
2001 02 ■日本テレビ系金曜ロードショー「タッチ CROSS ROAD 風のゆくえ」の主題歌(「風のゆくえ」)と挿入歌(「青い扉」)を担当。タッチシリーズを全て手がけてきた監督、あの杉井ギザブロー氏が「今回のタッチは坂本さんのバラードで始めたいんです」とおっしゃったためにタッチシリーズでは異例のバラード始まりとなった。
■サウンドトラック「タッチ2 CROSS ROAD 風のゆくえ」に2曲参加。
■大学の先輩でもある小田和正氏に突然スタジオに呼ばれ、何が何だかわからないうちにシングル「風の街」にコーラスで参加。後にプロデュースをお願いするきっかけとなる。
■4th Maxi single「明日の色」リリース。カップリングに「情熱大陸」の中でその制作行程が紹介された幻の曲「サヨナラ」を収録。後日、小田さんに「『サヨナラ』って曲、いい曲だよな」と褒められる。
  03 ■鈴井貴之第1回監督作品「man-hole」公開。ストリートミュージシャン役で、見苦しいほどのどアップで出演。
■2ndアルバム「走る人」リリース
■シンガーソングライターイベント「東京百歌」へ参加。以後、約1年間に渡りイベントの仕切り役として「百歌シリーズ」の全国展開の一役を担う。
  04 ■ワンマンライブ「428 AKASAKA 走る人」を赤坂BLITZで開催。
【band member】
 坂本サトル:vocal & guitar
 古川昌義:guitar & chorus
 三沢 泉:percussion & chorus
 棚谷祐一:keyboards & chorus(from CARNATION)
  05 ■小田和正氏のアルバム「LOOKING BACK 2」に「愛の中へ」「君住む街へ」のコーラスで参加。
■中国、深センにある「テクノセンター」で働く人々の前にて初の海外ライブ。弾き語り。観客約1000人。
  08 ■小田和正氏へ次回作のプロデュースを依頼。制作に入る。
  09 ■活動休止中だったJIGGER'S SONが、超満員の ON AIR EAST でのライブ「決着」を最後に解散。
  11 ■中国、深センにてバンドを引き連れての2度目のライブ。観客約6000人。ばかうけ。 日本よりも人気あるかも?と勘違いしてしまうほどの盛り上がりであった。
【band member】
 坂本サトル:vocal & guitar
 矢部浩志:drums(from CARNATION)
 鳥羽 修:guitar(from CARNATION)
 大田 譲:bass & chorus(from CARNATION)
 棚谷祐一:keyboards & chorus(from CARNATION)
  12 ■赤坂BLITZにて、ワンマンライブ「STR 2001」開催。ゲストに小田和正氏を迎え共演。
【band member】
 坂本サトル:vocal & guitar
 矢部浩志:drums(from CARNATION)
 鳥羽 修:guitar(from CARNATION)
 古川昌義:guitar & chorus
 大田 譲:bass & chorus(from CARNATION)
 棚谷祐一:keyboards & chorus(from CARNATION)
 小田和正:piano & chorus(special guest)
2002 01 ■小田和正氏プロデュースによる5th Maxi single「ドライヴ / 木蘭の涙」リリース
  02 ■小田和正氏のsingle「キラキラ」にコーラスで参加。
■青森県出身ミュージシャンのみが参加するイベント「青森 NIGHT 2002」(新宿ロフト)に参加。
  04 ■赤坂BRITZにてワンマンライブ「STR 2002 / DRIVE」開催。
【band member】
 坂本サトル:vocal & g uitar
 矢部浩志:drums(from CARNATION)
 三沢 泉:percussion & chorus
 山村光史:guitar & chorus
 大田 譲:bass & chorus(from CARNATION)
 棚谷祐一:keyboards & chorus(from CARNATION)
 瀬木貴将:サンポーニャ(special guest)
  05 ■イベント「青森へ行こうよ」、青森1/3で開催。このイベントは青森を訪れた事のないミュージシャンを坂本サトルが青森の皆さんに紹介する、という趣旨で始まった。第1回目のゲストは浅田信一君といしのだなつよ。
  06 ■10年間在籍した日本コロムビア、そして所属事務所ラッシュエンタテインメントとの契約終了。
  07 ■2月に行われた「青森 NIGHT 2002」のために出演者がリレー方式で制作した「青と森」が青森県限定でリリース。参加ミュージシャンは坂本サトルの他にタイムスリップランデブー、シングライクトーキング佐藤竹善氏。
  08 ■日本コロムビアの社員であった小林英樹と共に株式会社ラップランド設立。同時にプライベートスタジオ「studio mode key」を本格的に制作基地とする。

→約2分では分からない坂本サトル 2003〜2006へ
sakamoto satoru web